fuman999’s diary

一代で資産120億を築き上げた霊能者のブログです。

熊野神【2】〜フーマン

もう一つの熊野那智大社は、古くから我が国第一の、名滝として知られてきた那智の滝御神体としている。



白龍】ワシはここの滝の熊野大神の眷族神の龍神と仲が良いぞ!



私】お前、那智の滝も行ってるんか?



白龍】あ〜、たまにな!話し相手だ!!



祭神のフスミ神は、イザナミ神とされるが、



白龍】違う!フスミ神とイザナミ神は別神だ。



私】やろうな!!笑




これとは別にアマテラス大神がスサノオ尊と誓約をした時に生まれた、クマノクスビ尊ともされている。



白龍】これも全く違う。デタラメな、、、



私】ハッハッハッ!!



その那智大社のすぐ隣に、早くからの修験の道場であり、熊野山伏の本拠地として知られる青岸渡寺【せいがんとじ】がある。



私】青岸渡寺って何を祀ってるんや?



白龍】菩薩だ!!



私】何菩薩?



白龍】そのような細かい事は気にしなくてよい。



私】まぁ、興味ないからええけど。




熊野は古くから山岳信仰の聖地とされてきたが、元々は那智の滝の神秘性から発祥したものである。



白龍】良い滝だぞ!!非常に気持ちが良い!!



私】ほんま自由な龍神やな!!笑



白龍】しかしナイアガラは一番最高だ!!



私】ハッハッハッ!だからよう行ってんか?



白龍】うむ。



平安時代になると密教が盛んになり、その影響で熊野の山岳信仰修験道として興隆し、熊野山伏の拠点となった。



その熊野山伏に守られて発展した熊野三山は、朝廷から厚い崇敬を受け、第16代仁徳天皇に始まって、第90代亀山天皇まで、、、



多くの天皇上皇、皇后、女院が熊野へ行幸した。



さらに鎌倉、室町時代になると、武家や庶民の間にも熊野信仰が広まった。



多くの人々が蟻の行列のように続々と熊野の聖地を訪れる様子が、【蟻の熊野詣】と言われるぐらいに、人気は盛んだった。



こうした人気の背景には、諸国を巡って、熊野信仰を広めた御師熊野比丘尼などの活動があった。



白龍】これは誠の話しだ!!



私】頑張ったんやな!!



白龍】あ〜!!こうい人種はご祭神から非常に愛される。



☆【御師とはお祈師の意味。神社や寺などに参拝する人の世話をしたり、祈祷の代役をしたりする委託神職。】



☆【熊野比丘尼とは熊野信仰を宣伝布教をする為に各地を巡り歩いた巫女。】



彼らは全国を歩いて信仰の組織を開拓し、熊野社、王子社に熊野三社の神霊を勧請したのである。



続く。



フーマン。