日本の神は、仏教が入ってきたことを境に性格が変化した【複雑になった】といえるが、、、、
その原因となったのが、神仏習合である。
日本には元々、固有の神が存在していたが、、、
奈良時代に外来の神【仏】が入ってくると、それを拒む事なく受け入れた。
やがて仏教が政治と結び付いて一種の国教的な性格を持つようになると、、、
在来の神は、仏教の世界観の中に取り入れられた。
それを進める理論的な支えになったのが、いわるゆる【本地垂迹説】の思想である。
再度、言う!!
本地垂迹【ほんじすいじゃく】である。
簡単にいえば、神と仏は同根、あるいは神は仏が、仮の姿をとって現れたものとみる考え方のこと。
それが平安中期から鎌倉時代にかけて作られた仏教縁起や神社縁起のなかで、、、、
様々な垂迹縁起として展開された。
こうした本地垂迹の考え方は、仏教の側からすると、日本固有の神の信仰をそのまま仏の信仰へと取り込む為に、、、
【大変便利な理屈だったのである。】
だから、例えばもっとも早く奈良時代に仏教と習合した八幡神の本地垂迹は阿弥陀如来。
というふうにして、その信仰を仏教へとそのまま取り込んだのである。
この本地垂迹は在来の神霊からすると大きな不満だったのである。
なぜなら、仏教の教義の中では、神霊は、あくまでも如来や菩薩の下位に位置付けられていることだ。
私】そやな!!
白龍】如来や菩薩のような仏は如来という神!!菩薩という神として認識すべきなのだ。
私】読者に向けて話してるんか?
白龍】そうだ!!
私】どうぞ、語っておくれ!!
白龍】如来や菩薩は神霊より下位の存在であり、エネルギーも如来や菩薩では神霊には勝てんのだ。
これが真実だ!!以上だ!!
私】でも菩薩とかは神霊に比べて優しいけどな!!神霊みたいに怒れへんし、見返りも求めへんし。
白龍】如来や菩薩からの現世御利益を出す力など、たかが知れている。プレゼントされたらお返しするのは当たり前だろうが!!
私】そうやな!!お前の言う通りやな!!
白龍】本地垂迹説などくだらん説だ。
私】はいはい。
完
フーマン。